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人 生 峠   

2014年 09月 14日

人 生 峠 

花火に誘われて           熟年ニュース2014年9月9日記 A

花火大会に誘われ、新潟県長岡市へと渋滞する高速道路を走り続けた。私は茨城県出身だが、長岡、三島と呼ばれる地名に生まれ、祖先は新潟からの流れてあると聞いていた。そのためか、初めて訪ねるにも拘わらず不思議な懐かしさが感じられた。

高層ビルの窓からは無数の小さな家々が眼下に広がり、遥か彼方には連綿と繋がる山脈が地球の半径を取り巻いている様に見える。やがて真っ赤な太陽が神秘的な光を放ちながら山の端に沈んでいく。この壮大な大自然と我々人間によって創造された花火との共演である。

突然巨大な花が夜空に開く、そして散ってゆく。我々もまた花火のように思い切り自己を表現し、後はさっぱりと終わりたいものである。この様な瞬時の現象にも人生上深く学ぶものがあった。

山脈が呼びかける

更にもう一つ.狭い都会に住む私にとって、地球を取り巻くように連なる山脈に心が及ぶ。そこには無数の峠が存在しているのであろう。私は登山らしい経験が殆どないので実感をもっては言えないのだが、登山家にとっては例え困難や危険に遭遇しても、簡単に止められない魅力があると言われる。

私は精神的に悩む人達の相談を受ける機会が多い。ある日、40歳半ばの男性と接した時の話である。仕事は公的な所に勤務していた。話によれば、数ヶ月前までは自分に合った仕事のように思えて満足していた。然し職務が変わり、それほど難しい部署ではないのだが、特別な理由もなく心身が疲れ始め、電車で通勤するのも苦痛になり、ついに長期の休暇を取らざるを得なくなった。

彼は面接を続けている間に.暫く途絶えていた趣味の一つである登山を始めてみようと思い立った。当時は公務員であれば割合長期の休暇を取ることがそれほど難しくない時代でもあった。電車に乗るにも苦痛を伴う心身の状態でありながら、登山とは大変意外な事である。暫くしてその体験の一端を聞くことが出来た。

話によれば登山は多難な峠の連続なのだが、一つ一つ登り詰める度に元気を取り戻して行くように感じられた。その上家庭でも心に余裕が出来て、庭に咲く花の手入れもしたい気持ちに変化してきたと、以前より落ち着いた口調で話された。

これは心身共に疲れ果てた相談者が、実際に経験した一見不思議に思える話である。都内の通勤でさえ大変な体調であるのに、どうして登山など出来るのであろうか。彼の体験を通して思うのだが、人間の心には不思議な力が潜在しているに違いない。-

生きるための登山

すべての人が登山する訳ではない。然し誰にも越えなければならない峠がある。それを「人生峠」と呼んでも良いであろう。その意味では私もまた限りなく歩み続けて来た。険しく感じられた山路を辿り、やっとの思いでそれを越える度に、ある時は希望の絶景に心踊り、又ある時は不安の深淵に突き落とされる思いで意気消沈した。

その都度心を落ち着けたいと願い、様々な試みもした。深い呼吸法の実践、また瞑想する時も座禅する事もあった。「生きる上で様々に起こる現象は本来人間の力では如何ともし難い大宇宙の働きである」と了解する事によって心身の苦痛が緩和していく体験も幾度かあった。恰も小さな悟りを得たような気持なのだ。

ところで昨晩、ある地方では記録的な雨量によって引き起こされた土砂災害に多くの命が失われたとのニュースが放映されていた。身近な家族の命を亡くした悲しみは言語を絶するであろう。外的災害が.心の工夫や思いに関係なく一瞬にして発生したのである。私の会得した小さな悟りらしきものが助けになる筈もない。いや滑稽にさえ思えてしまう。

確かに日々様々に当面する出来事に対しては、自然と共に生きる限りそれを受容して行かなければならないのも事実である。だが余りにも巨大な力によって全てを失った被害者には慰める言葉もない。

幾多の難に救われて

考えてみれば私の人生にもいろいろと危機的局面があった。ロサンゼルスに滞在中大地震にも遭遇した。北海道の地震でもホテルが倒壊するかと思う程の恐怖を経験し、又淡路大震災では研修終了後、滞在予定を変更して難を逃れた。日航機の御巣鷹山遭難の日は私の誕生日でもあったが、当日は北海道での講演が終わり、帰宅には私も又日航機を利用していたのであった。その日の夕刻、知人を含むあの大惨事が発生した。今でも我が事の様に心痛く記憶に残っている。又東日本震災に関しても危ないところを逃れる事が出来た様に思う。

偶然にも幾つかの危機を避けられたのは幸いであった。だが実際に災害を被った人達の様に、私がもしその一つにでも直面していたら奈落の底に打ちのめされていたに違いない。その様に思う時、日々些細な事に捉われ悩みながら歩んできた己の小さな人生に、深く反省させられてしまう。これまで様々に救われた過去の出来事に改めて感謝したい。同時に一刻でも早く被災された方々が平和な心を取り戻し欲しいと念ずるばかりである。

絆の灯火

ロングフェローの言葉ではないが、「明けない夜はない。」常に変化して止まない大自然の中で必ずや太陽を見る日が訪れる筈である。その間、心は暗闇の中に閉じられているのかもしれない。だが心ある友との語らいを通し、僅かな明かりではあっても温かみのある絆の灯火を消さないで欲しい。時至れば突如として、人間に深く潜在していた力が働き、力強く立ち上がれる時が必ずや来るであろうと信じている。

(日本グロースセンター所長 大須賀 克己)


by jgc-osuga | 2014-09-14 15:40 | 詩とエッセイ

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