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2012年 10月 09日

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# by jgc-osuga | 2012-10-09 15:56

2012年度講座案内  

2012年 03月 29日

●22期生心理カウンセラー養成講座●
4月22日、5月20日、6月17日、7月8日
(8月24日、25、26日は 宿泊実存エンカウンターグループ。)
9月9日、12月2日、平成25年1月27日、2月17日、3月10日


新講座
●第2土曜・エンカウンタ・グループ●


●女性のためのエンカウンターグループと写経●
4月13日、5月11日、6月8日、7月13日、9月28日、10月12日 12月14日
平成25年1月20日、2月1日、3月1日


●ベイシックエンカウンターグループ●
4月29日日曜・4月30日月曜祝日(2日間通い)


●ホリスティック・エンカウンターグループ●
6月30日土曜日・7月1日日曜日(2日間通い)


●実存エンカウンターグループin湯河原●
8月24日金曜日~26日日曜日(2泊3日)


●ロジャー ズ理論とカウンセリング●
9月22日土曜祝日・23日日曜日(2日間通い)


●秩父巡礼エンカウンター・グループ● 
10月26日金曜日~28日日曜日(2泊3日)


●表現アートセラピーとエンカウンターグループ●
11月3日土曜祝日・4日月曜祝日(2日間通い)


●外人のための心氣功●
12月16日日曜日1時から3時


●般若心経とカウンセリング●
2月10日日曜日・11日月曜祝日(2日間通い)


●エンカウンター・グループと心氣功●
平成25年3月16日土曜日・17日日曜日(2日間通い)

詳しくは、メール又は電話でお問い合わせください。
詳しい資料をお送りいたします。

osuga-k@athena.ocn.ne.jp
03-3993-1648

〒176-0001
東京都練馬区練馬4-31-18

最寄駅:豊島園駅(西武線・大江戸線)徒歩5分

日本グロースセンター本部
所長 大須賀 克己

日本グロースセンターホームページ
http://www.jgc-counseling.org/









# by jgc-osuga | 2012-03-29 11:27 | 2012年度研修予定

生の構造  

2012年 03月 29日

震災の発生から既に一年の月日が過ぎた。
そこでは想像を絶する多くの犠牲者と、いまだに過酷な環境の中で
日々戦っている被災者たちがいる。災害は同時であっても、津波や原発によって
それぞれの違う人生が奪われ、また強いられているのである。
ある者は一瞬のうちに命を失い、
ある人はようやく救出された。しかもそれだけではない。
災害直後から数日間生き続けながら発見されず、餓死した犠牲者もあったと言われる。
一瞬にして亡くなった者には、死すら存在しなかったであろう。数日食べるものもなく、救出される可能性を、必死に求めながら亡くなっていった被災者の恐怖感は、
その極限である、死そのものであったに違いない。
そして無事に救われた人々でさえ、過酷な日常生活と
心の苦痛に苛まれ続けている。多くの心理臨床家たちがボランティアとして
現地に赴き、被災者の心の傷を癒すことに専念している。
だが、どこかその対応に不十分さを感ずるという。
生きるとは一体どのような事なのか。私自身の根底も揺らぎ始める。 
人生とは「生老病死」という永い道程を歩む事であるとも言われる。
だが、あの津波の中では、赤子にとっては「生」という意識も存在しなかった。
若者にとっては「老」も経験する事はなかった。病気に罹る事もなく命を失った者には
「病」すら存在しない。一瞬にして命を失った者には「死」も経験できなかった。
だが、我々は無事生きているにも拘わらず、
明日を憂い遥か未来を恐れ貴重な、今という一時を喪失する。
時には安らぎに満ちた「今日という日」もある。だが、明日は命がないと思えば、
その日も暗黒に包まれてしまう。このように考えると、
人生は現実的な事柄に対応している様でありながら、形のない安心の世界を求めているのであろう。今、我々は科学の時代に生きている筈なのだが、実はその根底をなす、
ある種の信仰的世界に生きていると言っても過言ではない。
科学技術はその幻想や妄想を創造する手助けになる言さえある。
極限の苦しみを持ち続けている相談者たちに対応するカウンセラーや
セラピィスト達は、科学的知識を学び臨床経験を重ね、相手の感情や感性に反応している。
それでもどこか不十分なのだ。それを補うためには、
その根底にある宗教的世界にも通ずる、深い感覚を養う必要があろう。

日本グロースセンター所長 大須賀 克己
グロースニュース142号

# by jgc-osuga | 2012-03-29 10:37 | 詩とエッセイ

陰と光の旅  

2012年 03月 29日

心は時であるとも言えます。人は過ぎ去った時に苦しみ、
そして喜び、訪れる未来に願いを託す。そして幸いなる
永い人生を求めるのですが、「生老病死」という苦の人生峠を
誰もが超えて行かなければなりません。
我々の社会が娑婆(しゃば・忍土・にんど)と呼ばれる所以なのでしょう。
未来と過去の接点に、今という現実の人生があります。
そして良くも悪くも、過去のドラマの続きが未来のスクーリンに写しだされます。
現在という座席から、ある時は希望に心が踊り、またある時は不安に慄く。
このように考えると、人生とは自己の幻によって創造された
陰と光の映像であるとも言えましょう。
去る5月26日午前3時30分、「陰は光に」の著書を残して、私の兄
大須賀発蔵は静かな彼岸へと旅立って行きました。
八十八年の長寿を全うしたと言っても良いでしょう。
多くの人々の暖かい心に囲まれ惜しまれながら
永い願いでもあった仏陀の世界に帰依する事になったのです。
兄の人生にも様々な苦難の時代はありました。ですが、最後まで彼を慕い、
光る涙で別れを告げて下さった限りない朋友がおられたことは、
人生としてこの上ない幸な事です。そして生前には一人の小さな力ではあっても、様々な人々の陰に光を与えることが出来たのでした。

ほぼ時を同じゅうして、大震災が発生しました。ただ一人の兄に
心が奪われていた時に、多くの方々が瞬時に命を失ったのです。
人生そのものと考えていた「生老病死」さえ存在しない突然の出来事でした。
大自然は人間だけの小さな知恵で動いている世界ではなかったのです。
小さな昆虫も、木の葉も、大木も海も空も
一体につながっている大きな命でした。そのように思う時、兄もまた、
無限の生命に包まれ、大宇宙のどこかで生きつづけ、私たちを
見守っているに違いありません。そして、エンカウンターグループのように
災害で亡くなられた方々と共に、深い出会いの中で語り合っている事でしょう。

日本グロースセンター所長 大須賀 克己
グロースニュース141号

# by jgc-osuga | 2012-03-29 10:35 | 詩とエッセイ

念 仏  

2012年 03月 29日

真っ暗な闇よ、私の行く手を遮らないで欲しい。
一瞬たりとも早く着きたいのだ。
常磐道が果てしなく長い。 三月二十五日の夜、故郷に向かって走る私の心も
これ程まで重い時はあったでしょうか。幼少の時から共に人生について語り続け
カウンセリングという精神世界の中でも互いに支え合ってきた
兄、大須賀発蔵の危篤、最後の瞬間が訪れるかも知れないという思いでした。
年齢の差もあって時には父親のような錯覚に陥ることもありました。
この一年間は直接触れる機会も少なく、ただ私の心が痛み続けました。
車の走る中で過去の様々な思いが走馬灯のように立ち現れるのです。ともに近くを流れる涸沼川で育った楽しき日々、泣きじゃくる私など、余りにも古い記憶が蘇るのは、最後の時の到来を感じていたからでしょうか。私と家内は真夜中に茨城の兄宅にやっとの思いで着きました。
そこには酸素マスクをつけながら呼吸が早く横たわっている兄の姿がありました。
起こしてはいけないと思いながら、たとえわずかな時間であっても話かけざるをえませんでした。 
突然通じたのか首をあげようとして私の手首を握ったのです。今でも離さないのです。
そして私に何かを告げようとしていましたが聞き取れません。しばらくの間兄を見守り
再び東京へと別れを告げました。
次の朝午前三時三十分、兄が静かに旅立っていった事が知らされました。私は兄の人生最後の言葉を聴いて別れることが出来たのです。彼の著書「心の懸け橋」の中に次のような事が書かれています。「最後に唱える言葉は何でしょうか。教えて下さい。」と重い病状に伏せた友からの質問に戸惑ってしまったと言うのです。同時に自分自身がどのような言葉で別れるのかを考えざるをえなかったのです。若い時から親鸞の思想に支えられてきた自分としては「南無阿弥陀仏」と唱えさせていただきながら、この世を去っていきたいと願っていたのでした。しかし苦痛にあがき苦しむこともあるでしょう。華厳経に、宇宙における一切の現象は分け隔てなく仏の命であり、仏の言葉でもあると説かれているのです。「一即一切 一切即一」、それは一片の塵そのまま、この大宇宙の大切な命の表れであるという。
そうです、あの理解できなかった兄の言葉は、
「南無阿弥薩陀仏」という念仏だったのです。それなら私もまた人生の終焉にあたり、
あるがままの自分で最後を迎えられそうな気がするのです。
安らかにあれ・・・・・・  合掌

日本グロースセンター所長    大須賀 克己
グロースニュース140号 

# by jgc-osuga | 2012-03-29 10:32 | 詩とエッセイ

アンリとエルの小枝  

2012年 03月 29日

アンリの生まれた所は、大変自然に恵まれていました。特に春は美しく、野原いっぱいに、赤や黄色、白といった花が咲きほこります。アンリはたくさんの兄弟を持つ蟻の家族に一番上のお姉さんとして生まれました。やがて可愛い娘に育っていきましたが家族は貧しく、お父さんばかりでなくお母さんも子供達を育てるために一生懸命働いていました。それどころか、まだ小学生の幼いアンリも生活を支えるために、学校から帰ると泥と汗にまみれて近くの工場で働かなければならなかったのです。
アンリは幼い上に体が弱く、他の蟻さんたちと一緒に仕事をしていくことが大変でした。ときには仕事が遅れ、働いている仲間たちの邪魔にさえなってしまうのです。アンリの村の蟻さんたちは皆働き者でしたがとても厳しく、中には意地悪な蟻さんもいました。アンリの働いている所で、いろいろな仕事の命令をしたり指示したりする監督さんは、アンリを叱ったりお尻を叩くことさえあるのです。「もっと早く歩けないのか。」「すみません。」ただ謝ることしかできません。アンリは哀しみました。
アンリの村は山に囲まれて近くには川が流れていました。その川の堤防は山のように高く、その麓がアンリの住んでいる村で大変急な斜面にありました。でも川の下流には静かな広々とした田園が続いているのです。
ある夏の終わるころでした。山頂の空に黒い雲がもくもくと登りはじめたのです。あたかも山が怒り始めたようでした。その暗黒の雲はみるみるうちに広がりアンリの村を真っ暗に覆ってしまいました。間もなくアンリが今まで経験したことのない大粒の雨が、まるで滝のように降ってきたのです。そればかりではありません。雷の音も耳をつんざくばかりでした。稲妻の光は薄暗くなった村の上を大きな電灯で照らすようでした。あちらこちらで崖崩れが起こり、ついにアンリの足元までが崩れてきました。必死になって大きな木にしがみついたのですが、アンリの弱い体力では無理でした。「ああ大変、危ない、お母さん!」と叫びました。でも聞こえるのは水で崩れる土砂と雨の音だけでした。ついにアンリは川に押しやられ流されはじめたのです。ふと見ると小枝が浮かんでいるので、それにつかまり、やっと這いあがりました。
アンリを乗せた小枝は筏のように激流にのまれ、あてどなく流されていきました。「ああ、もうだめだは、家族の人達、みんな助かったかしら。」いろいろな不安が頭に浮かんでくるのです。そうこうしているうちに時間がずいぶんたって、アンリは疲れ切ってしまいました。お腹も空いて、とうとう眠るように意識を失ってしまったのです。
それから、どれほどの時間がたったのでしょうか。ふと意識が戻ったのです。「ここは一体どこかしら?」今まで乗っていた小枝ではなく、大きな地面に横たわっているようにもう思えました。でもベッドのように柔らかく、冷え切ったはずの体が暖かいのです。力のない体を起こして見て驚いてしまいました。大き目がきょろりと後を向いて、アンリを心配そうに覗いているのはカエルさんでした。その背中の上に横たわっているではありませんか。その優しそうなカエルさんは言いました。「ああ良かった。もう心配しなくてもいいですよ。死んでしまったように弱っていた君が流れてきたので、僕の背中に乗せて意識が回復するまで体を温めながら待っていたんですよ。僕の名前はエルです。この田園の村に住んでいるんです。体が良くなるまで、僕の家に休んでいてもいいですよ。」体は大きなカエルさんでしたが、年齢はアンリより少し上のお兄さんのようでした。
アンリはエルさんの家族たちに介護されながら過ごしておりました。そして日ごとに元気を取り戻していきました。水の上で生活するのは初めてでした。すべてが新しく、毎日の楽しいときは夢のように過ぎていきました。そんなあるとき、エルはアンリに向かって静かに言いました。
「体もだいぶ回復してきたね。僕は君を村に送り返してあげないといけないね。カエルの村に住んでいる仲間たちは蟻さんほど勉強したり働いてはいないけど、みな家族も平和で楽しく過ごしているのさ。あちらを見てごらん、お父さんの上に小さな子ガエルが乗って楽しく泳いでいるでしょう。僕たちは水の住まいがあれば、それ以上不満がないんだ。雨が降ったら嬉しいし、暑い日でも水に入っていたら涼しいし、天気のいいときはみんなで楽しく、げろげろ、があがあ、と大きな声を出して合唱などして過ごしているんだ。だからここに住んでいることが本当に楽しい。」
「君もいっしょに長く居られたらいいけど、僕たちの村では君にとって退屈すぎるかもしれないね。また家族の方たちもアンリさんを心配しながら待ち焦がれているに違いないさ。」
アンリはいつの日か訪れるこの時を、心の中でかみしめるかのように静かにうなずきました。エルはアンリを背に乗せて、初めて二人が出会ったところに近いアンリの村の岸に着きました。西の空が真っ赤に染まり、太陽が山の端に沈もうとしていました。水量豊かな田園は夕日に照らされた二人の姿を写していました。エルとアンリの目には光るものがありました。「アンリさん元気でね。またいつか会えたらいいね。」「エルさんもお元気でね。ありがとう。」

やがてアンリもエルも、もとの生活に戻ることになりました。アンリは家族と出会うことができましたが、アンリを心配していたためか両親はすっかり痩せおとろいて体力を失っているように見えました。やっぱり働き続けなければなりませんでした。でもアンリはエルの優しさを忘れることができません。夜になると田園から聞こえてくるカエルさんたちの声の中に、エルの泣き声が混じっているように思いました。しかもアンリに呼びかけているようにさえ感じられたのです。アンリはエルのように大きな声で返事できないのを哀しみしみました。アンリは田園の辺りに行き佇むことがしばしばでした。仕事のときでも、その近に来ると一瞬立ち止まってしまうこともありました。
その時です。高い所から大きな石がゴロゴロと落ちてくるではありませんか。「危ない!」アンリはそれを避けきれず、足を打って再び水の中に落ちてしまったのです。高いところには意地悪な監督が足早に立ち去る姿が見えました。
アンリは再び流され始めました。「痛い!」でも、必死になって慣れない川を泳ぎ続けました。もう力が尽きたと思ったその時、以前と同じように再び小枝がふわふわと浮かんでくるではありませんか。夢中になってそれにつかまり這いあがりました。でも水の流れはしだいに早くなって再び田園の方に押しやられてしまったのです。こうして一日、二日とたつうちに激しい痛みと熱でうなされて、意識がなくなりました。やがて体は氷のように冷たくなってしまったのです。

一方、エルはアンリと別れてから、二人が初めて出会った所をいつものように訪ねていました。そしてアンリの住んでいる村の方を今日もぼんやりと眺めていました。ふと上流の方に目をやると、あの時と同じような枯れ枝がふわふわと流れ近づいてくのです。しかもその上に誰かが横たわっているようです。エルは急いでそばに泳いで行ってみると、そこに横たわっているのはアンリではありませんか。
足には血がじみ、顔色は蒼白です。エルは必死にアンリを抱きしめ、「アンリ、アンリ、 エルですよ、起きて!」と夢中になって呼んでみるのですが、アンリは再び答えることはありませんでした。エルから落ちる大粒の涙が、エルに抱えられたアンリの頬を濡らし、しばし二人の過ごした田園の水面に注がれていくのでした。でもアンリの顔が静かに微笑んでいるようにさえ見えました。山の彼方には最初に別れたあのときのように、真っ赤な太陽が二人を見守りながら静かに沈んでいくところでした。
終わり

# by jgc-osuga | 2012-03-29 10:23 | 童話

ベイシック・エンカウンターグループ  

2012年 03月 29日

今、社会は不安に満ちております。心からお互いに深く話しあう機会が少なくなりました。この研修会は、カールロジャーズ博士の開発した、ベイシック・エンカウンターグループの実践です。ここで深い出会いを経験してみて下さい。人生が変わるでしょう。
次の要領で行いますので、お知り合いの方にご関心のある方がおりましたら、ぜひご紹介下さい。
研修会名:「ベイシック・エンカウンターグループ」
日時:4月29日日曜日・30日月曜祝日 10時30分より17時まで。2日間通い
会費:3万円 グロース会員2万8000円
講師:大須賀 克己
会場:日本グロースセンター本部

# by jgc-osuga | 2012-03-29 10:21 | 間近なイベント

日本グロースセンター40周年記念・大須賀発蔵先生をしのぶ会  

2011年 08月 14日

日本グロースセンター
四十周年記念・大須賀発蔵先生を偲ぶ会のご案内 

毎日暑い日が続きますが、皆様方にはお変わりなくご健勝のことと存じます。日頃、ご支援いただき感謝申し上げます。最近の社会情勢は大変不安な状況にありますが、日本グロースセンターは長年心の問題に取り組み、今年で40年を迎えることとなりました。これも偏に皆様方のご協力に支えられた賜物と、心より感謝申し上げます。
さて、皆様に大変悲しいお知らせをしなければなりません。グロースセンター発足以来40年間、その中心として活動されて来ました当センター所長の実兄であります、大須賀発蔵先生が5月26日に他界されました。実存や秩父巡礼、エンカウンターグループ研修等、無欠席で参加され、どれほど多くの人々に感動を与えて来られた事でしょう。先生を心から慕っておられた方々は全国に大勢おられます。そこで、生前の発蔵先生の思い出を語りながら、先生とともに歩んできた40年を振り返り、偲ぶ会を開く事になりました。皆様ご多忙とは存じますが、ぜひご参加頂きたいと思います。記念会は次の要領で行いますので宜しくお願い申し上げます。 
平成23年8月15日        四十周年記念実行委員長  山下輝明
日 時  平成23年10月15日(土)・ 12時 受 付 12時30分より16時まで。
会 場  文京シビックセンター・スカイホール26階。 電話 03-3812-7111
     東京都文京区春日1‐6‐21       
交通   東京メトロ丸の内線 後楽園駅4bまた5番出口・東京メトロ南北線 後楽園駅5番出口・
 都営地下鉄三田線 春日駅・都営地下鉄大江戸線 春日駅(文京シビック前)各駅1分。
JR総武線 水道橋駅(東口)10分。
内 容  1 記念式典
2 大須賀克己特別講演
3 発蔵先生ビデオ・写真展示
4 会食(椿山荘より)・懇談
申し込み  早めにお申し込みください
*参加費   7000円(現金書留でお申し込みください。)
*都合悪く出席できない場合で記念品(先生の写真や偲ぶ小冊子)のみ希望の方は2000円を現金書留にてお送りください。後程送付いたします。早めに申し込まれる方は郵便振替用紙でも結構です。
郵便振替口座番号 〇0170-1-38001 日本グロースセンター(名義)
※宛先:〒176-0001 東京都練馬区練馬4-31-18 日本グロースセンター四十周年記念係
※問い合わせ:日本グロースセンター TEL 03-3993-1648・Fax 03-3993―2151Eメール:osuga-k@athena.ocn.ne.jp
                   きりとり                    
※ 出席されることを先にお知らせいただく場合は、次の事項を記入してお知らせくださいください。
日本グロースセンター四十周年記念会に 出席 ・住所              
  氏名         電話        fax番号       メール   
会費納入方法: 直接わたし・現金書留・郵便振替・その他(適当なところに印をつけてください)。


# by jgc-osuga | 2011-08-14 10:26 | 間近なイベント

実存エンカウンターグループ  

2011年 07月 22日




日時 8月26日(金)14:00~
8月28日(日)12:00(解散)
2泊3日
定員 35名
参加費 49,000円(会員:47,000円)
※研修費・宿泊費・食費・親睦会費を含む。
会場 静岡県熱海「ニュー富士屋ホテル」
ファシリテーター 大須賀 克己

プログラム
内容 実存とは本来の人間が生きている姿です。私どもは日常、他人を気にしており、常識に縛られて窮屈な生活をしています。その中では自分を守っているために、他人との深い交流もできない状態です。
無限に広がる大海を眺め、豪華で優雅な大浴場から水平線上に昇る朝日を仰いでいると、身も心もリフレッシュされることでしょう。お友達を誘ってご参加ください
日本グロースセンター

# by jgc-osuga | 2011-07-22 10:20 | 間近なイベント

大須賀発蔵 先生が他界されました  

2011年 07月 07日

 私の実兄であります大須賀発蔵が去る五月二十六日他界いたしました。彼は多くの人々に慕われ尊敬され、実業家として、教育者でもあり仏教伝道者でもあり、そして私と共にカウンセリングの活動をして参りました。
八十八歳の天寿を全うしたのですから致し方のないことですが、私自身は人生の大部分を兄と一つになって過ごしてまいりましたので、心には表現しがたい空虚感が襲ってくるのです。
 兄は生前、素朴な家族葬を望んでいたこともあり、「千の風のように」静かに、そして安らかに大空に飛び立っていったのです。亡くなる1年ほど前から活動ができませんでしたが、彼を慕う多くの人々の暖かいしかも悲しい思いが波動のように押し寄せてくるのを感じました。しかし今は顔を見る機会も失われてしまったのです。その様な深き慈愛の心を寄せて下さった方々に、申し訳ない気持に苛まれる時もあります。私は夜中に自宅を訪ね最後の別れが出来ました。強く握ってくれた右手の感触が今でも私を放さないのです。
 ほぼ時を同じゆうしてあの大災害が発生しました。突如として亡くなられた多くの方々のことを考えてみれば兄の永い人生は幸福でした。今頃は災害で亡くなられた多くの方々と輪になって私共の思い出話をエンカウンターグループのように話し合っているのではなていでしょうか。いやそうしているに違いありません。
 それにしてもこの世でお世話になりました多くの方々に、共に同じ道を歩んできた弟として改めて心からお礼申しあげます。

 なお願いなのですが、11月ごろに大須賀発蔵先生の偲ぶ会、ならびに日本グロースセンター40周年記念の細やかな会を開きたいと予定しております。それまでに、発蔵先生の思い出などを原稿にしていただき(約1000字以下)を送りいただければ幸いに思います。グロースセンターについての感想でも結構です。                    平成二十三年七月七日

                    日本グロースセンター所長 
                    大須賀 克己

# by jgc-osuga | 2011-07-07 22:43 | 日々思うこと

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